11.悪気 容器は、それが空っぽのときに一番大きな音をたてる byジューウェル 「悪気は無かったんだ・・・。」と、耳元で囁く声。 悪気があろうが、無かろうが、そんなことが問題ではない。 貴方が、やらかしてしまった愚行によって、どれだけ人を苦しめているかを知ることの方が大切なだけで・・・。 逆に「悪気の無いこと」の方が、怖ろしいのかもしれない。 人には、必ず「良心の目覚め」があるはずだから、自分自身が「悪いことをしている」という、うしろめたさ・・・ それが、良心を呼び起こすのだと思う。 「悪気が無い」と開き直ることで 、その良心が芽生えることすら遠ざかる。 常套手段の自己弁護なら要らない。 悪気があろうと、無かろうと、愚行と傷心は真実からは消すことが出来ない。 むしろ「悪気が無い」ことほど、手に負えないことは無い。 悪気が無ければ許される・・・そんな、子供の時代は、遠い昔ばなし。 多分、人は「悪気」を認識することで変わるのだと思う。けれど、悪気の無いことは延々と続く。 今度は、もっと上手な嘘の中で・・・。 芽生えた猜疑心は、もう「悪かった」という言葉では消滅しない・・・。 貴方の「悪気」の認識が、私の傷と同じくらいの重さになるまでは。 信頼関係の崩壊が、男と女に溝を作った時「悪気は無い」という言葉を目の当たりにすることも多いと思います。 極端なことを言うと、軽犯罪の多くが、そうなのかも知れません。 言葉の暴力すらも、自分の体裁を繕おうとする、一瞬の防衛なのかも知れません。 けれど、人の自己弁護の怖さを考えてみると、傷痕の開いた傷口を見てみると・・・「悪気が無い」という釈明ほど 怖ろしいものは無いと感じるときもあります。 せめて、心の底から、悪いと感じてくれたなら、生きていく道も開けていくであろうけれど 全ての思考をストップさせてしまうほど「悪気の無さ」で起きた愚行は、「直らないのでは無いか」という怖さを 私に認識させます。 そして、悪気があろうが、無かろうが、そこが問題点ではないのです。