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厳寒の北国から「青年よ大志を抱け」というクラーク博士の銘を志し、立教大学を学び舎に選択して、花の東京に単身上京。しかしながら、東京での一人暮らしは経済力が必要とされ、当時女子大生ホステスが持て囃されていた事に目をつけて、世界一の歓楽街歌舞伎町のキャンパスクラブなる所に(女子大生がホステスを勤めるクラブの総称)経済学の教科書を片手に修行に出ました。
JALパック大学と言って、日本航空を捩って四谷のJ大学、渋谷のA大学そして我が学び舎、池袋の立教大学は学生証を持参すると、相場より気持ちだけ時給upの御時世でした。
源氏名(お店で名乗る名前)は、「松江 順子」縁あって「新宿の母」という有名な手相見さんに付けて頂き、そのパワーの成果が在学中に爆発して、大学を卒業して直ぐの23歳で50人近くの従業員を抱える店をママとして任され「新宿の奇蹟」「歌舞伎町の伝説」と言われ、OLになる事も侭ならずに夜の世界へと立身出世して、北海道開拓史に、その名を残すクラーク博士の言葉通り、歌舞伎町で最終的に従業員60人2階建てメゾネットタイプの店を経営するに至ったのです。この時、16年間使用していた「順子」という名がConcierge 順子の出発点となりました。
19歳から始めた「真剣に人と向き合う仕事」の中で、様々な人生を見聞きして今日に至ります。ホステスさん達の恋愛観、御客様達のお仕事の憂い、お客様の奥様達のご家庭での苦悩等々を目の当たりにしてきました。
個々の人生の浮き沈みを共に生きる事によって私自身も、人間の深層や心の琴線に触れる事が出来、多くの事を学び、今日の「Concierge 順子」に辿り着きました。 |