赤ん坊が、這い這いから横転しながらも学び立ち上がり、二本足で歩くことを覚えるような身体的成長に加えて
いろいろな側面で自己成長を遂げようとすることは
人間が能力を獲得しようとする根源的な欲求に端を発していると思います。
欲求を軸とすると、その成長に至るためのの手段とは何かは、個人個人の価値観によって
その答えが変わってくるでしょう。
*社会的なステイタスを伸ばすこと
*経済的な潤いを求めること
*社会福祉活動に生きること
*学問探求を極めること
*芸術や信仰など自己の信じるものを普及すること etc etc.
そして、もうひとつの成長、人間がいつも抱えている、内面的な成長である「精神的成長の形」とは何かを問うと
これも多様な考え方を持って集約されると思います。
現在、私たちを取り巻く社会問題は、大小かかわらず複雑多岐に及び、私たちの生活や心や肉体に病理を
食い込ませる楔となっていることは、マスメディアによって報道され、そして日常の中で、個々が物思うときに
具体的な困惑と化して浮き彫りにされてきています。
人の真の成長を問う時、私が真っ先に考えること、それは「個人が成長のために如何に生きるか」という
人生的命題を、一生をかけて解き明かすために進む方向性に他なりません。
自分自身を捉えてみた時「命の問題」が、一番最初に、心の底から湧き上がってきます。
「生命体の命は全て平等である」という自論から発したものは、弱肉強食の論理を履き違えているのではないかという
人間への問いかけであり、「命の重さは何ものにも代え難い」という人間の尊厳とは何かを人の一生を通して問い続ける
関係論の関わりの重さへの問いかけであるのです。
(1)
ライオンは御腹が空いたときにしか鹿を食べません。
でも、人は現代において、どんな悲惨なことをしでかし食糧危機などという空論を吐くのでしょう。
(2)老いていくことの平等性の中で、社会が成すべきことは、命への尊厳を表現することであり、これが出来ずして
「コミュニケーションの時代」
などという借り物の流行語を、人は何故吐くのでしょう。
人の真の成長とは、先ず、第一に社会における自らの姿勢を振り返り、個人が生きる中で
自己のみに留まらず、人として生きることを社会で気付きながら、この課題に如何に取り組んでいくかを
考えてみることから始まると思います。そして、這い這いから天井を掴もうと立ち上がったように
今度は、現実の世界の中で転びながらも立ち上がる労苦を厭わずに、自己の理念を実践に移すことではないでしょうか。
私は、上記二つのテーマに取組む為に、今、行動を起こしています。
これが「余生」の真の姿だと自分なりに信じて・・・。
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