私のルームには、若輩ながら、多くのカウンセラーさんたちが学びに来てくださいます。
カウンセリングをしている数十分を臨床と呼びますが、本当はカウンセリングとは臨床が始まり
お話を聴いている間だけではありません。
傾聴及び共感は、クライエントさんからかかってきた予約の電話や頂いた予約のメールから始まります。
カウンセラーは、一番最初に、クライエントさんの息遣いや声色を聴き気を合わせます。
そして、カウンセラーは、頂いたメールの書き方や文字の大きさの中に、共感を入れて気を合わせて読みます。
「気を入れて、物事をやろう。」という台詞がありますよね。
カウンセラーも、自らの感性の総体とも呼べる「気」を使い、クライエントさんの「気」に合わせていきます。
そして、こちらが物を語りたい時は、どうやら、知らないうちに、私自身が「気」を送っているようです。
なにやら、文章では上手く伝えられないのですが
私は、本物のカウンセラーの極意は、ここにあると思っています。(自分が本物かどうかは、定かではないですが・・・)
次に、カウンセリングは、二人でルームに入って座ったときに始まるのではありません。
クライエントさんが歩いてくる姿や物腰、歩幅、姿勢、それに「気」を合わせます。
今日は、体調良さそうだなぁ、なんて、私は玄関先からカウンセリングを始めます。
自分にとってカウンセリングの数十分は、それだけ、漏らすところない大事な時間なんです。
「人の役に立ちたい」とか「人の為になりたい」とか、そんなことは、これっぽっちも思ったことがない私ですが
まず、カウンセラーが第一にやること、それは個人が生きることにあたって、自分の価値観をしっかりと持ち
自分自身が、その価値観から、はみ出さない生き方をすることだと思います。
「カウンセラーの価値観は揺らいではいけない。」私の信条が、ここにありますが、よく耳にする言葉に
「カウンセリングだけは、しっかりとやっています。」というカウンセラーさんの台詞があります。
例えば、人にもたれかかって、依存心の処理も出来ずにいつまでも自立が成し得ていないカウンセラーが
クライエントさんに「自立」を促すことが出来るでしょうか?
カウンセラーも人間です。そんなに器用に「ここからは、カウンセラー」「ここからは一人の個人」と使い分けることが
できるわけはありません。
価値観は自由ですが、それが生き様と矛盾するということは「歌を忘れたカナリア」であるということです。
私は、本物のカウンセラーの極意は、私生活から始まると思っています。
私のルームは、多少、普通のところよりは、カウンセラーさんたちには厳しいかも知れませんが
鑑真和上が僧侶を育てた時の僧堂よりは、ずっと優しいことは確かです。\(◎o◎)/!
自分共々「本物のカウンセラー」を目指していくことを、忘れると
「人の為にも成りえるはずはなく、人の役になど立てるはずもない。」本末転倒な所業など人生には無意味だと
私は、そう考えています。
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