ねぇ、私の心に土足で入って来て・・。お願い、貴方ならかまわない。
遠慮しないで私の心の中に入って来て・・・。
●いつまでも心に壁を作っている相手に、心の奥に閉っておいた女性の「自虐性」が顔をだしてしまいます。
元々、女性の心理の中に「愛に溺れて、落ちていきたい。」という深層心理が隠されているのではないでしょうか?
こうなりゃ、マイナス思考を楽しみましょう!
テーブルの上の携帯電話が泣いているのはいつから・・・?
星空が嫌いなんていつから・・・? 膝を抱く癖はいつから・・・?
●ラストに「貴方とは暮らせない。」のフレーズを考えてしまうせつなさ。
結ばれない仲の恋愛は女性にとって男性側から考える以上に辛さを含んでいます。自分の将来に対するそして何時壊れてもおかしくないという不安定な不安感の上で、いつも綱渡りをしています。
この愛を守るためには、刹那と瞬間を生きるしかないのでしょうね。
本当は貴方の愛なんていらないの・・・貴方は私にとって恋人という幻影なのかもしれないの・・・
ひとりぽっちは淋しいから、愛という陶酔に縋っているだけなの・・・
●愛されている・大切にされているという確信がつかめない相手、「そんなの愛じゃない。」と叫びたい自分。
別れた方がすっきりするかも知れないのに孤独になるのが不安だから嘘の愛にしがみついている自分。
女性はなかなか踏ん切りがつかないのかもしれないけれど、答えてくれない相手とは愛の積み重ねを感じられないものです。そんな相手じゃいつまでも満腹感は得られないもの・・。
積み木を崩してみるのが自立の一歩かも・・・。
この幸福に浸っていたい。たとえ少女の頃夢見た「白いドレス」に身を包まなくても・・・。
愛される喜びを感じて*今*私に見えるのは貴方との「赤いバージンロード」
●女性は愛されていたいのです。「愛している」の言葉は千度聞いても何度でも欲しいものです。
女性は触れられていたいのです。愛しい人可愛い人と愛でられていたいのです。毎日、実感が欲しいのです。
愛されているという絆が、ずっと貴方を愛し続けられるという「幸福な未来を夢見る階段」へと導いてくれるのです。
男性諸君!「不安定な心」のまま女性を放り出さないで精一杯の愛を表現してあげられたら・・貴方にも幸せが返ってくることを知っていてくださいね。
男と女は「合わせ鏡」だと・・・。
あなたの言う通りにしたじゃない。あなたの言う通りに生きているじゃない。
どうして、こんなに逢えないの・・・ ? どうして、そんなに冷たいの・・・ ?
●男性の言いなりに生きてしまうと、相手は実は何も感じていない、考えていないのに、女性は急に、隔離不安になってしまう場合があります。
頻繁に傍にいないと、こころが落ち着かなくなります。
そして、理由のないところで相手を疑ったり、詰ったり、不安の中で心が苦しくなります。
自分を慈しんで、自分を一番大切にして恋愛することをこころがけましょう。
淋しいなら、淋しいと相手に打ち明けてみましょう。
二人の生活のペースを話し合い、それに慣れていきましょう。
音のしない携帯電話。昔の方がにぎやかかも。
絵文字があったり、なかったり・・・。
●「待つ」ということは寂しいものです。不思議と相手からのメールを待っている自分に気付いたりします。
「あっ!メールだわ。」「うーん。友達だった。」
無意識のうちに特定の相手のメールを期待している自分に気付いたりします。
日常に起こった、ちょっとしたことで良いのです。お互いに今日、何をしたとか報告できると安心して眠りにつけるものです。
女の心は幾つかの「ひきだし」を持っている。その一つに「後悔」がある。
別離と背中あわせの、このひきだしには「うしろめたさ」という衣装が潜んでいる。
●一方的に何も語り合わずに、長い間育んできた愛を裏切るかたちになってしまった時・一方的に愛を踏みつけてしまった時
その愛は永遠に自分の心に潜んでいて、閉めたはずのひきだしが、まるで自動ドアのように日常的に開いてきます。
思い出という綺麗な言葉では装飾できない、この愛のトラウマは「うしろめたさ」という衣装のように
心の深遠に常に纏わり付いて離れてくれません。愛は実は「残酷」であったりします。
こういう時は、そういう自分を背負って生きていくしか無いのかもしれませんね。
貴方には幸せが二つある。けれど、私には貴方しかいない。
いつも、いつも貴方に合わせて、いつも、いつも居心地の良い場所を作ろうとして、いつのまにか「自分らしさ」を無くしている。
●喧嘩すると戻ってこなくても居場所がある相手。だからこそ、いつも相手の顔色を伺い、自己主張する言葉を呑んで
相手に合わせようとする自分。居場所の数が違うことを「ずるさ」だと思いながらも、愛だけを支えに向き合わなければ
ならない自分。壊れるのが恐いから、壊れても傷つくのは、残された自分だけだと思うから、強さを装って必死で生きている
そこに気付いてくれない相手に貴方は、何故に自分を捧げるのでしょうか?
日常という現実の中で、忘れていたのかもしれない。暮すという事実の中で、失いつつあったのかもしれない。
だけど「追われる」という時間の感覚に遮られずに、いつまでも、ときめいていたい。
●駆け足で過ぎていってしまう毎日の繰り返し、規則正しい生活、平凡という安定の中で、さして不幸を感じずに生きていても
女性はある部分で「未完成」に魅かれる側面も持ち合わせています。
逃げるものを追うような「ときめき」・・・
少しだけの波風のあとの「抱擁」・・・前の夜から着る物を用意していた「待合わせ」。
そう、色々な色に華やいでいた頃。
出合った頃の、ちょっぴり恥ずかしげなこころみたいな「わくわく」とした気持ちを持ち続けて恋愛することは人生に「張り」を
持たせることにも繋がります。
長い間培った信頼の中でも、少しだけ初心に帰って行動してみるのも大事なことかもしれません。
恋愛に「完成」の二文字はいらないのでしょうね。
*ジェラシー*・・・とりつかれたように感情が高揚して頬が熱くなる。
格好悪いと、自分を否定する。だけど津波のように押し寄せてきては、泉のように湧き出てくる。
「こんなのみっともない。」と口ずさんでみても静まりかえることをしらない。
●愛が不安定な時に、ふと、*ジェラシー*が顔を覗かせます。
相手がいつもと違う行動をしただけで、メールの返事が即日では無かっただけで、こころが綱渡りを始めて身体までも熱くする
*ジェラシー*恥ずかしくも、みっともなくも無いのではないでしょうか?
男は嫉妬を「うざい」と感じる、その固定観念が、自分の中から湧き上がった当たり前の感情を否定して苦しくなるのかも
しれませんよ。
その女性として自然な感情を受け止めて、表現力を持って相手に、そっと囁いてあげれば少しは波も平らになるかも・・・。
ささやかな言葉でもいい・・・ちっぽけなメッセージでもいい・・・貴方の優しさが伝わる日々が欲しい。
愛をぶつけて傷ついて、それでも愛することを止めないで、だけど一人じゃ愛せない。
貴方の元に飛んでいく術が無いのなら、毎日、言葉でつぶやいて・・・。
●会いたいときに傍にいないから、思い立ったときに飛んでいきたい。
抱きしめてもらいたいときに隣にいないから、感じたときに飛んでいきたい。
そんな気持ちに耐えながら送る生活という名の瞬間。ボードレェルの詩のように瞬間の衝動に従って生きられないのも
恋愛の辛さです。言葉を残してもらいましょう。目が覚めて明日の太陽が輝いて見えるような。
一人ぽっちの夜に、愛を抱いて眠れるように・・・。
港を求める貴方に、頭を下げて頷けばいつ来る船か心波立つ。
貴方の船は不定期便、いっそのこと沈んでくれれば穏やかな波か・・・。
●いつも自分を待っていて欲しいと思う実は依存心の強い相手。船一艘を待っているのだから、定期便にもなりそうなのに
依存する漁港が分散していると、ついつい「いつ来るのか解らぬ不定期便。」
待ちくたびれた港の方が寂れてしまいます。得てして、そんな船に限って人一人乗せられない筏に近かったりして・・・。
どうせ待つなら、クィーンエリザベス号でも待ちませんか・・・?
女の心は幾つかの「ひきだし」を持っている。その一つに「母性」がある。
守り抜くことと背中あわせの、このひきだしには「献身」という衣装が潜んでいる。
●女性は生まれながらにして*母性*という「自分の子供を愛し、守り抜く」という本能を持っています。
この母性が時として、異性に対して生じると女性は相手に対して「可愛い・愛おしい」という気持ちが大きくなり
自分を犠牲にしても愛を守り、相手を守り、そして尽くそうとします。
この母性の「ひきだし」の中には、身を切り刻むような自己犠牲を含む「献身」という衣装が潜んでいます。
異性が甘え始めてもこの献身はとどまることを知らず、結局その献身してる自分の姿を引きずり
「ここまでしてあげたのだからもう少し・・・。」とばかりに限界を超えていきます。愛は実は「残酷」であったりします。
こういう時は、自分の限度を知り「潔さ」という衣装を素早く身にまとう方が賢明なのかもしれません。
言葉にならない言葉を人は*慟哭*と呼ぶ。
声を止めようとしてみても思わず嗚咽が漏れる。真実の愛を求めて、愛を繰り返しても青い鳥は何処にいるのだろう・・・。
●男は嘘を語り、女は虚飾を飾る。それならば愛を語り、愛を紡ぐ言葉は無意味な空洞。
いったい、真実の愛を人はどうやって積み重ねればよいのだろうか・・・?
そして、抱擁が全てを許してしまう愛の情念ならば人は何をもって愛を確認すればよいのだろうか・・・?
不安や嫉妬や猜疑心を齎すことが常に存在する男と女は何処に辿り着けば*真実の愛*を見つけられるのだろうか・・・?
そして、後悔という港に、漕ぎ出した船の碇を下ろさない為に男と女は、言葉を超えて何を為せばよいのだろうか・・・?
愛する相手の*慟哭*を受け止めること、それは自分自身の魂を傷つけても尚、相手の魂を包み込んでいかなければ
ならないという、まるで自己犠牲のようにも感じる。
だけど本当は「自分が幸せを感じないならば、相手を幸せには出来ないこと。」に至る。
男と女は家庭や恋愛の中で、お互いに*虚構*というほころびを無理矢理繕おうとするが、その中に真実はあるのだろうか?
もしかしたら、もっと傲慢に、もっと贅沢に「自分の幸福を追求」した方が真実が見えてくるのかもしれない。