8.後悔
貴方には、一縷の後悔も無いのか・・・と、問いかけてみる。
別れ際の自然消滅に「来るものは拒まず、去るものは追わず。」などという、人類最古の無責任な言葉など要らない。
命がけだと言う「生き様」さえも滑稽に見えるほど、私に何があったのかを理解していない。
人と人には、お互いに見えない時間が存在する。
知り得ない時間の空間を、貴方は少しの空想と、少しの浅はかな妄想で、自分勝手に埋めていく。
終いの決まりの言い訳に「知り得ないことなど、考えても無駄だ。」と締めくくり・・・・。
本当ならば、空間は、確かに埋まるはずである。
相手の言葉を受容することで。
だけど、別れ際の自然消滅は、私の言葉に壁を作り、声音と共に遮って行く。
「ねぇ、話したいことがあるの。
」
「ねぇ、理由を聞かせて、私たちどうして、こうなったの?」
「ねぇ、最後にお酒に付き合って。」
そんな別離の瞬間を、持てていたなら憎まずに済むだろうか。
人には、言えないこともある。
言ってはいけないこともある。
時がたてば話せることなのに、どうして神は別れの一瞬に、私の心に戸を立てる?
あの時、貴方と話せていたら、もしかしたら私の心の情念は、炎と共に風化したのかも知れない。
けれど貴方は、今にして、少しばかりの空想で、完璧だという思い込みの絵物語を口ずさむ。
そんな空想、古本屋の推理小説よりもつまらない。
せめて、貴方があの時に、数日後でもあの時に、私の心を分かろうと得意の花でも置いていけば
苦悩の中で呻く声など、とうの今頃、聞かなくてもホントは済んだことなのに・・・。
貴方には、一縷の後悔すら無いのだろうか・・・・。
「去るものは追わず。」されど「去らねばならなかったもの」は、どう生きよう。
男と女の流れには
後悔・・・そんなものじゃ足りないわ。

別れ際の自然消滅ほど苦手なものは無い。
別れる理由など本当は、不必要かもしれないけれど、せめて涙の一粒でも、相手にぶつけられたならと、いつも思う。
「来るものは拒まず、去るものは追わず。」という仏教倫理みたいなものに、いつも私は無責任さを感じる。
人と人の「縁」を説くならば「去るものの去り方、去らせ方。」も説くのが、本筋なのではないかと・・・。
それとも、この外来宗教に、日本の僧侶の社会性が追いつかないのであろうか?
男と女の間でも、別れ際の言葉が二人の間の「思い出」の締めくくりだと、そう思う。
お互いに、日々を紡ぎ合った仲ならば、責任というものが発生しても良いのではないかと思う。
後悔・遺恨・怨念・屈辱・侮蔑・憤怒・・・どうせ、別れに残るなら、少しでも苦悩を分かち合う瞬間をもったほうが
長い、長い人生において、経験という現実の実りがあるのかも知れない。
何も語らぬほうが、人は苦しいものである・・・・。