カウンセリングハウス Concierge順子 〜コンシェルジュ ジュンコ〜 Concierge順子はこころの救急車です。
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つれづれ日記

24.(H.20.2.26記)
エリザベス・キューブラー・ロスとの再会
その著書と出会ったのは16歳の時だったと思う。高校の図書館とすすき野と実家とのトライアングルが
居場所だった思春期、授業に出ずに、哲学書を読み漁っていた私の目に、ある一冊の本の衝撃的なタイトルが
入ってきた・・・「死ぬ瞬間」背表紙に、そう書かれていた本には
人の生から死に至る心理過程が刻まれていた。私は、その本を手に取ることを、少し躊躇った。

何故かと言うと、思春期によくあると思われる「自己の生への葛藤、生きることへの疑問」が
私の中に燻ぶっていたからだ。
「瞬間の衝動に従います」 というボードレールの言葉を心に抱きながら、刹那的な享楽と苦悩の繰り返しだった毎日に
終止符を打つことに対する「生への欲望」が疑問符と共に相反している自分自身を、捉え返していたからである。
「死への恐怖」は「生への欲望」と表裏一体なのではないか・・・。

そんなことを考えながらも、誘惑には勝てず、私は貪るようにエリザベス・キューブラー・ロス女史の著書を読み
生と死の狭間で葛藤していること自体が、人間の常なのだということに気づき、そして、自己の消滅とは
その間における、ただの「結果」に過ぎないことに気づいた。あくまでも、これは、自己の気づきである。

カウンセリングを生業として生きている現在、私は「偽物の共感」が大嫌いである。
相手の苦悩を受けとめ、相手の慟哭を聴き、相手の痛みを手にする・・・それは、本来「お辛いですね」などという
簡単な言葉には置き換えられもせず、カウンセラー自体の経験による痛みの度合いが大きければ大きいほど
共感力は増すとも思うし、同種の経験があれば、うっすらと痛みの種類も共感出来うる可能性は高まると思っている。
ジンジン痛いのか、ズクズク痛いのか、キリキリ痛いのか・・・心身を抉るように通過していくものも
時としては、種類が違っていく・・・。

高校生の頃、感銘を受けたロス女史の著書「死ぬ瞬間」も、その後、私の奥底の引き出しにしまいこまれて
月日を経て、今日、私の手元で、ちょこんと座っている。
今、この本を読み返す日が来るとは・・・と、まるで古い友人と再会出来たような興奮と戸惑いの中に私はいる。

人間が生きていくことを探求した時に訪れる確かな感触の中で、不確かな大きな壁を作ってしまうのが
「死」という存在である。
残念ながら、私は、まだ死んだことは無い。死にぞこなったことはあるのだが、それには、必ず生への欲望
生を希求することが付随してくる。
だから断崖絶壁のカウンセリングが出来るかどうか、自分の経験の範疇では「NO」と言うしかない。
けれど、私は職人であり、そこに近づくことは可能なのだと思う。
きっと、感覚の全て、知覚の全て、それらを受け留める根本的な受け留め方から違うのだと思う。
同じ楽しいこと、それは今の私の楽しい こととは違う。
諦めること、それは今の私の諦めることとは違う。
何故かは理解出来るであろう。何か代替なるものを未来に求める深層部分が、完璧に違っている。

苦しいけれど、私は、今、自分を破壊していかなければならないと思う。
自己崩壊への恐怖・・・そんな中にいて、キューブラーロスと再会出来たことは、ノスタルジーにも似た
過去を振り返るという、セピア色した切なき人の性かも知れない。

 

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