22.(H.19.12.9記)
葛藤
To be or not to be (シェークスピア・ハムレットより)
葛藤とは「ケーキを食べたい。けれどケーキを食べて太りたくない。食べるべきか、食べざるべきかそれが問題だ。
」
というような
「心の中に相反する動機・欲求・感情などが存在し、そのいずれをとるか迷うこと。 」 を指します。
人生を生きていれば、二律背反の双方で悩み、迷い、自分が二人いたら、どんなに便利だろうと思ったりします。
例えば、男女の別れなど、人生の岐路的な問題点に立った時、どちらかの道を選択しなければいけないですから
慎重さも必要ですし、決断力も必要ですし、ある時は流されてみることも大事かもしれませんし、どんなことを優先順位に
捉えるかという判断力も要ります。
かくいう私も、岐路に立たされることが多い人生だったと思います。
何をもって、選択の基準としてきたか・・・なんと、私の場合は「カン」のみです。\(◎o◎)/!
元来、お気楽な性格の人間なので、自分の選んだほうが絶対的に良い選択だと、完璧に思ってしまうタイプなのです。
「私の辞書に、過ちの二文字は無い。」と。(笑)。
そして、あちらの道を選んだら、どうなっていただろう・・・と、考えたこともありません。だって、選ばなかったのだから。
加えて、もっと、お気楽なことを考え始めます。
「この私に神仏の加護がないわけが無い。私の選択肢は、きっと、ご先祖様が守ってくれて決めたことだ。」と。
こうなったら、振り返ることもありません。
(笑)。
我が思うが侭の人生です。
母と妹が、私によく言う言葉です。「貴方の性格だと・・・苦悩したことが無いでしょう?」。
そんなことは無いのです。苦悩の連続ではありましたが、人とは変わったことで苦悩したのかもしれません。
生まれて、一番最初の苦悩は、幼稚園に入る以前、物心ついて直ぐに始まりました。
「人は、何故、肉として他の生きものの生命を奪って、己の命としようとするのか・・・。」
それ以来、私は、好んで肉を食べませんし、自分一人の時は肉屋に立ち寄ることはありません。
この苦悩は、今も続いています。
「生殺与奪」
人生的命題は、人の業として、我が心に刺さり続けています。
そして、自分に刺さり続けている矢は、大きく形を変えて、人生に影響を与えました。
自分の周りに生じる、全ての事象に対して「命がけで生きる」ことを、せめて人の指標とし、拭い去ることも不可能な
人の業に対する、自分自身の免罪符としようと。
こう生きてくると、葛藤・・・どちらの道を選んだとしても、そこを生き抜くことが、自分に与えられた使命のような気がしてきて
「なんちゃないき」(こんなこと、なんでもない)こんな言葉も出てきます。
どんな葛藤を抱いたとて、自分自身を信じて、そして進んでいくことが人に生まれた使命のような気がしています。
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